【昭和のテロップは紙だった】写植(しゃしょく)のテロップとは?

2021年3月16日

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【昭和のテロップは紙だった】シリーズ、たくさん読んでいただいて、ありがとうございます!前回からだいぶ時間があいてしまってすみません。

【昭和のテロップは紙だった】紙のテロップとは?
【昭和のテロップは紙だった】ライブ(トリキリ)テロップとは?

前回は、主に手書きについての説明だったんですが、実は紙のテロップには手書きのほかに「写植(しゃしょく)のテロップ」というのがありました。そこで今回は「写植のテロップ」について…、いやその前にまず「写植」ってなに?というところからお話したいと思います。

 

写植とは?

「写植」と聞いて、知ってる!という人は、昭和の頃にデザインをやっていたか、文字好きさんの一部くらいで、ほとんどの皆さんはご存じないと思います。無理もありません。紙のテロップが無くなってしまったように、写植も今はもうほぼ無くなってしまった技術だからです。

写植は正式には写真植字(しゃしんしょくじ)といい、写真の原理を使って文字を印字するものです。写植ができるまでは、印刷物は活字を使って作られていました。活字は日本語の場合、ひらがな、カタカナ、漢字、またそのサイズ違いなどを大量に用意しておく必要がありました。しかし、写植は専用の機械(写真植字機、写植機ともいう)と文字盤があれば作ることができます。

写植機は、カメラと和文タイプライターをミックスしたような機械です。文字盤から文字を1字ずつ拾って特殊なカメラで撮影します。

画像は手動の写植機です。これはテレビ用ではありませんが、私のいたテレビ局で使っていた物と、とてもよく似ています(モリサワさんのHPから引用しました)。

文字のサイズはレンズを変えることで変更できます。特殊レンズによって長体、平体、斜体文字に変形させることも可能です。打った文字は、写真と同じように、印画紙を現像することで出来上がります。印刷ではこれを「版下」という台紙に糊で貼って、原稿として使用していました。

 

写植のテロップとは?

ざっと簡単に写植の説明をしましたが、この写植をテロップに応用したのが写植のテロップです。

むかしテレビが始まった頃、今では信じられないかもしれませんが、すべてのテロップは手書きで書かれていました。しかし、番組が増えると使用するテロップの枚数も増え、タイトルさん(テロップを作るデザイナーさん)たちの負担も大きくなっていきました。急いで書くと文字の間違いも多くなるし、コストもかさむし…なんとかならないか?という事で導入されたのが「写植」というわけです。

先ほど述べたように、写植(写植機)はもともと印刷用だったので、テレビのテロップを作れるように改良されたものが使われました。メーカーや年代によって様々な機械がありましたが、私がいたテレビ局では、モリサワのテレビ用手動写植機(年式・型番などは不明)を使っていました。

 

写植のテロップができるまで

さてここからは、当時実際にどうやって写植のテロップを作っていたかということについて説明していこうと思います。

まず印画紙に文字を打っていきます。印刷用の写植では、四切サイズ(240×290mm)などの印画紙を使うのですが、テレビ用の写植は、専用に開発されたテロップ用のロール印画紙(図①、幅がテロップと同じ125㎜のもの)というのを使っていました。(図②)。

ロール状なので、テロップは何枚も続けて作ることができます。ロール(横ロールや縦ロール)などの長尺ものも作れます(文字を90度回転させると横ロールができます)。

文字を打ち終わったら印画紙を現像機に入れます(印画紙は光が入らない特殊なケースに入っていて、そのまま現像機に差し込めるようになっています)。

うろ覚えですが、現像機の内部はこんな感じだったかと思います。これ1台でテロップはもちろん、長尺のロールまで現像できます。本体は暗箱(光が入らない箱)で、中には現像液と定着液が入っています。印画紙はローラーで中へ送られ、現像液と定着液をくぐって出てきます。出てきた印画紙は湿っているのでドライヤーで乾かします。

印刷用の写植の文字は普通に読めますが、テレビ用の写植はネガフィルムと同じような使い方をするので、文字が表裏逆の鏡文字になっています。これをセフティー(安全範囲)を使って、文字が安全範囲に入っているか確認しながら、カッターで1枚ずつ切り分けます(図③)。

ここからは暗室での作業となります。先ほど切り分けた写植③を裏向けにして④の印画紙(これも専用に開発されたもので、これ自体がテロップになる)と重ね合わせ、露光機(光を当てる機械)に入れて感光させます(焼き付け)。

感光させた印画紙を先ほどと同じ現像機に入れて現像すると、黒地に白い文字が浮かび上がったテロップになります。ドライヤーで乾かして出来上がりです。

今から思えば結構手間のかかることをしていたんだなぁと思うんですが、1~2行ぐらいのテロップだと急げば2~3分で出来るので、ニュース速報などにも対応していました。

 

実際に使われていた写植のテロップ

さて、ここで実際のものを見ていただこうと思います。これは昭和の時代にオンエアで使われていた写植のテロップです。作られてから相当年月が経っているので、テロップホルダーに入っていた所が変色しています。以前にもお話しましたが、テロップは放送事故防止のため、使い終わったものはほとんど捨てられていました。しかし、このような定型文のテロップは、使いまわしをするため保存されていたので、捨てられずに生き残ることができました。

今見ると、とても懐かしい書体です。私のいた局では、このモリサワの丸ゴシック、角ゴシック、太角ゴシック、明朝体の4種類を使ってテロップを作っていました。会社に入ってすぐの頃、この丸ゴシックでひらがな五十音の見本を作り、毎日手書きの練習をしていた事を思い出しました。当時はあんまりバランスが良くない字だなと思っていたのですが(モリサワさんすみません(^^;)、今見ると、とても味があって良い書体ですね。でも、これらの古い書体はデータ化されていないので、今では使うことができないのが非常に残念です。

 

写植という技術は無くなっても

写植といえば、つい先日、デザイン業界や文字好きさんたちがザワついたビッグニュースがありました。「モリサワ写研がOpenTypeフォントの共同開発で合意、2024年から写研の書体を順次リリース」というものです。

このニュースについて少し解説しましょう。「モリサワ」と「写研」というのは写植の2大メーカーの名前です。日本の写植(邦文写真植字機)は、森澤信夫氏と石井茂吉氏が共同開発したものですが、のちに2人は袂を分かち、森澤信夫氏が「モリサワ」を、石井茂吉氏が「写研」という別々の写植会社を立ち上げました。写植が全盛の頃、モリサワと写研は競い合って新しい写植機や書体をどんどん開発していきました。

1980年代後半ごろから印刷の版下がデジタルに変わっていくと、モリサワはいち早くフォントをデータ化して販売しましたが、写研は写植に固執してフォントデータを一般販売しませんでした。「ナール」に代表される写研の書体はどれもすごく美しかったので、デザイン業界ではフォントデータが使えるようになることを熱望していたのですが、その後も販売されることなく現在に至っています。一時代を築いた写研の書体でしたが、今では知る人もほとんどいなくなってしまいました。

そんな状況だったので、写研の書体は写植とともに消え去ってしまうものと思われていたんですが、ここに来て、ライバルだったモリサワが写研のフォントデータを共同で開発して販売する!というニュースが出たのです。写研の書体がまた使えるようになるというので、デザイン業界や文字好きさんたちは大騒ぎとなりました。

写植という技術自体は無くなってしまいましたが、書体はデータになって生き残り、これからも使われ続けます。写研の書体が再びそこに加わることで、文字の世界もまた一層にぎやかになる事でしょう。私も写研の書体が使える日が来るのを楽しみに待ちたいと思います。

 

写植と写植のテロップの話、いかがでしたか?写植のテロップを作るというのは、仕事としては大変だったんですが、作業自体は結構楽しかったです。今はパソコン全盛の時代で、手も汚れず簡単に作業ができますが、完成品がないので「作った!」という実感があまり持てない気がします。今回の話で、昔のテロップはこんな風に1枚1枚手作業で作っていたんだなぁというのを少しでも感じてもらえたら嬉しいです。紙のテロップについてはまだまだ書きたいことがありますので、また次回をお楽しみに!

 

【参考文献】

株式会社モリサワ(https://www.morisawa.co.jp/)さんより。技術と方法(2)写真植字のページに写植のしくみや歴史が詳しく書かれています。

テレビ創成期のテロップ、写植について参考にさせていただきました。タイトルデザイナーのレジェンドのお話がたくさん載っています。こちらもとても面白いので、興味のある方はぜひどうぞ。
NHK文化研究所 放送研究と調査(PDFが開きます) 2010年12月2014年1月

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